六甲道駅が舞台のドラマがあった話

自分のために書くブログなんやからな!と言いつつも

twitterにURLを貼っつけてしまったということは

誰かに読んでほしいということなのか。

 

そんな人さまの目に晒すほどの文章にできるつもりなのか。

そもそもこれは続くのか。

読んでほしいような、ずーっとひっそりとやりたいような。

うーん。

 

 

 

 

今週の火曜日に、関西テレビでドラマがあった。

六甲道駅が舞台のドラマ。

 

 

『BRIDGE はじまりは1995.1.17神戸』は、2019年の1月15日(火)に放送されるカンテレ開局60周年特別ドラマ。

井浦新野村周平葵わかな椎名桔平ら豪華キャストで阪神・淡路大震災後の復旧の実話を元に、みたいな。

 

『1995年1月17日午前5時46分、6000人を超える犠牲者を出した阪神・淡路大震災

神戸の街は、一瞬にしてがれきの山と化し、交通は分断され、陸の孤島となった。
中でも被害の大きかったJR六甲道駅は東西をつなぐ要所。
一刻も早く鉄道を復旧させ、人と物資を運ばなければならない…。

過酷な状況のなか、2年はかかると言われた復旧工事をわずか74日間で成し遂げた人々がいた。

これは、震災の絶望の中、難工事を成功させた男たちと彼らを見つめた
地元の人々との関わり合いを描く、生命力に溢れたドラマである。』

 

 

 

公式サイト引用したら、こんな感じ。

カンテレで火曜日の夜21時からの時間帯

俳優さん勢もとても豪華。

普段関心なくてもこれが知る機会となる人は多いはず!

こういう目に触れる形で震災が取り上げられたら、単純に知識を得る人が増えるんちゃうかな。

自分が住んでいるところの最寄駅がドラマになることなんてそうないし、

駅の話は知ってたからどういう取り上げられ方をするんや、と興味があった。

 

 

しかしね、わたしはその日バイトやったので、観られるかどうかが、確証なく。

家のテレビも録画機能付いてないんよ。

実家ではどうやら録画してくれたらしいが、実家で観るんなんかいつの日になるんやー。

 

当日!

なんか上手いこと言うて

バイト先のグループホームで21時からカンテレにチャンネルを合わせることに成功!

しかも、録画もしていいよて言われた!

(チャンネルが変えられず、そのとき観ているものしか録画できない、同時間で2番組視聴できない仕組みになってるこのテレビ。なので2時間観続けると決めてから録画ボタン押さんと最後まで録れない。なんでやろな。)

 

なのに!

操作ミスって最初の2分しか録れてへんかった!

録画もちゃんとできひんのかいな

この〜あほ助〜どんくさ〜下手くそ〜

と自分を責めても仕方がない。

バイト中はなんやかんやしてるので、ちょいちょいでしか、そんな続けて見られへん。

 

 

というわけで、

ドラマはあったけど、ちゃんとは観てない。

から、そんなドラマがあった話、が正解。

このドラマの内容については何も言えません。

 

 

ようやく、本題に入ってきた。

 

ドラマでは当時の映像が使われて、

実際、六甲道駅周辺で撮影が行われていた。

なんと井浦新も六甲道に来たらしい。

おー、これ今の六甲道やー、とか言いながら観る。

 

 

当時の映像が流れたり、ドラマで語られたりすると

その時間一緒に観てて、やはりそのときのことを思い出して、気を落とす人たちがいた。

当時の記憶を蘇らせ、胸をぐっと詰まらせ、そのことを話す人たち。

 

わたしは当時の記憶はないけれど、縁ある団体に所属していたためもあってか、その話を聞きたい、知りたいと思っていた。

今までも、環境と周りの人たちのおかげで、とてもありがたいことに知識を得る機会には恵まれていた方ではあったとも思う。

しかし、知識を得る機会はあるけれど、何を知ることができたら、当時を知ったことになれるんやろう。

 

何に思いを馳せたら、何を考えたらいいんやろう。

 

ドラマはどんどん進んでいく。

ドキッとする映像も流れる。

 

これ、六甲道駅やから最寄りの大学の学生は、まだな、関係あるなーと観られるとは思うねん。

 

これを見て、どこか自分たちとは違う世界の話に思えてしまう。

生きてる世界とリンクしない、

現実感のない人も存在してしまうんじゃ、と、思った。

 

これだけ壮大に描かれてしまうと

他人事に思えてしまうのでは?

感動スペクタクル?

涙なしでは見られません!

ようできた復興話やなー

 

なんでこんな気持ちになってまうんやろう。

心の寄り添い様?

 

 

そうやねん。

過去に起きた災害、知識としてなんて皆知ってるねん。

 

 

この前、ふと、災害の話になったとき同年代の子が

「震災があったことは知ってるけれど

そういう災害が起きたら、全員一緒に被害に遭ってしまったら、いいかなって。

今知っても準備しても想定しないことが起きちゃったらどうしようもないから。

何か起きてもなんとかなる、って思ってるんです〜」

と話していて、とても悲しくなってしまった。

その子は軽く、そんなつもりで話したんじゃないのかもしれない。

 

でも、

じゃあ、あの人たちの気持ちは

あの人たちの経験はどうなるのか。

 

 

若い人へのバトンを渡す、てな

つなぐ、てな

どうしたら繋げられるんや

そもそもわたし自身には繋がってるんか

 

 

小学校のときから道徳やのなんやので

義務教育の中にも震災についても織り交ぜられている今。

知識としては確かに存在するんやけど

それを自分たちに関係あることとして結びつけることに次のハードルがあるんやないやろうか。

 

こういうドラマや話を他人事に思わなくなることが大事。

じゃあそんな縁遠いように思えてしまう、心的距離の遠いドラマを数作っても同じなんじゃないか。

いつまで経っても。

どうしたら自分に近いものと思えるようになるんや。

何が必要なんや。何を話せばいいんや。

 

自分に関係あるものとして

こういうものに関わっていくのって

とても正直な話、辛いし、しんどい。

悲しい。感情がたくさん溢れる。

 

 

でも、知っていく必要はあると思うねん。

 

知っていく必要あるやんな?

 

 

 

知っていくだけで足るんやろうか。

 

わたしは本当に今、関わって生きていけてるんやろうか。

起きてしまったとき、わたしに何ができるんやろうか。

想定しないことが起きちゃったら、どうしようもないんやろうか。

 

 

 

 

わからへんねん。

 

 

 

 

ずっと、わからへんねん、って考え続けることしかできひんねん。

 

つらいねん。